人生のための仕事ですか?仕事のための人生ですか?
あなたはどちらを選びますか?
多くの人は人生のための仕事と答えるでしょう。ぼくもそうです。人生を豊かにするために仕事があるのだと、そんな風に思っています。
現実
だけど現実はどうでしょう。例えば転勤という会社ではよくあるイベント。転勤で誰かを巻き込んだことはありませんか?例えば家族。例えば恋人。例えば友人。転勤はなくとも急な仕事であなたの大切な何かを巻き込んだことはないでしょうか。
現実をみると仕事のための人生となっていることでしょう。
思い
ブログを始めてからよく考えます。情報発信することの意味について。弱小ブロガーが情報発信する意味なんてないのじゃないのかと・・・
ぼくは情報発信は得意ではありません。文章を書くことも得意ではありません。そんなぼくがなぜブログを始めたのか。
少しでもお金を稼ぐことができればという思いでブログという世界に足を踏み入れました。仕事のための人生にしたくないという思いをとても強く持っています。
思いから得た肩書
ぼくはサラリーマンという肩書を持ちつつ、1児のパパという肩書も持っています。さらには夫という肩書も持っています。どの肩書もとても大切です。しかしパパという肩書は息子にとって唯一のパパであり、夫という肩書は妻にとって唯一の夫です。そんな肩書をないがしろにできるはずもありません。
だけどサラリーマンという肩書が唯一のお金を稼げる手段なのでとても大事なことも事実。唯一お金を稼げる手段がサラリーマンだけと考えるととても怖くなります。震えるほどの恐怖を感じています。だからぼくはもう一つの手段としてブロガーという肩書を持ちました。
パパ、夫という肩書を精一杯守るために。
現代の奴隷制度
考えれば考えるほど、副業禁止の会社は現代の奴隷制度のように感じてきます。とても大事な「お金を稼ぐ」という手段を一つに絞り込ませ、さもそれが当然のように社会全体で思わせ、逃げ道を閉ざします。よっぽどの蓄えがない限り脱出の糸口が見つかりません。まさに人生詰んだ状態です。家族がいればなおさらです。到底定時には終わらない仕事量を与え「考える」という人間にとってとても大事な思考を排除していくという・・・素晴らしくよくできた構造です。いったいいつからこの仕組みが当然となったのか。
今は自分の好きなことを情報発信するだけで少なからずお金が稼げる時代。それすら禁ずる会社を好きになれるわけもありません。
働き方改革
国を挙げて「働き方改革」に取り組んでいます。とても素晴らしいことです。
あなたも本当の意味での働き方改革に取り組んでみてはいかがでしょうか。毎日30分だけでも「考える」というとても大切な時間を設けてみてはいかがでしょうか。そうするとはるか彼方に少し明るい光が見えるはずです。
ぼくはその少し明るい光が「ブログ」でした。微かな僅かな光ですが、その光が消えるまでぼくはブロガーとして情報発信を続けたいです。雑多な情報の取捨選択で脳みそが疲れている現代人でもぼくの情報だから間違いない、ぼくが発信する情報だから欲しいと思ってもらうために。
現実は違う。こんな言葉が今にも聞こえてきそうです。本当にそうでしょうか。
人生のための仕事ですか?仕事のための人生ですか?
あなたはどっちを選びますか?